仙郷からのお便り

尾瀬のしおり・・・2.入山にあたって

繊細で優しい風景がその特徴ではありますが、尾瀬は2,000メートル級の山々に囲まれた山岳地帯です。
ご自身の安全を確保するため、入山にあたってのルールを確認しておきましょう!

1. しっかり準備をして出かけましょう。
2,000m級の山々に囲まれた山岳地帯の尾瀬では、天候の急変やケガなど様々な事態が起こりえます。
自然の中で自分の身を守るのは自分だけ。「準備をしっかりと」などを参考に、支度を調えてから出かけましょう。


2. 時間的・体力的に余裕を持った行程を組みましょう。
余裕のない行程は事故の原因にもなります。「尾瀬へのアクセス」や「バーチャル散策」などを参考に、余裕を持った行程を組みましょう。


3. 木道は滑りやすいので、気をつけて歩いてください。
雨や露で濡れた木道は特に滑りやすくなります。「尾瀬の歩き方」を参考に、気をつけて歩いてください。

4. 倒木、落石など周囲の状況に気をつけて歩いてください。
自然の中を歩く時には、倒木、落石など、周囲の状況に気を配りながら、気をつけて歩きましょう。

5. ツキノワグマに注意してください。
尾瀬にはツキノワグマが生息しています。まずクマに出会わないように、また出会ってしまったときに適切な対応ができるよう、尾瀬保護財団のHP(http://www.oze-fnd.or.jp/)などから、情報を確認しておきましょう。

(出典:東京電力「尾瀬からの招待状」>尾瀬のしおり

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尾瀬のしおり・・・1.尾瀬に入る前のお約束

尾瀬の美しい自然は、多くの人のさまざまな努力によって保たれているものです。美しい自然に出会うために尾瀬を訪れるのなら、この自然をまもるためのマナーをしっかりと把握しておきましょう。

 

1. 湿原には踏み込まない

美しい自然に出会うために尾瀬を訪れるのなら、この自然をまもるためのマナーをしっかりと把握しておきましょう。
繊細な湿原を守るために、木道から外れて湿原に入らないようにしましょう。
休憩ベンチや木道沿いで休むときや、写真を撮る際にも湿原の中に足を置いたり、立ち入ってはいけません。

 

2. 木道は右側通行
木道は、基本的に右側通行です。譲り合って歩きましょう。
また通行中の歩きタバコもやめましょう。

 

3. ゴミは持ち帰る

尾瀬はゴミ持ち帰り運動発祥の地です。ゴミは全て自宅まで持ち帰りましょう。

4. 動植物は持ち込まない・持ち帰らない

尾瀬は国立公園特別保護地区および国の特別天然記念物に指定されており、
昆虫・草花の採取はもちろん、落ち葉や枯れ枝等を持ち帰ることも禁止されています。
また、尾瀬の生態系をまもるため、外来の動植物を持ち込まないよう気をつけましょう。入山口の「種子落としマット」などで靴の泥を落としたり、
衣服をはたいてから入山するなど、細かい心遣いが必要です。
ペットの持ち込みもやめましょう。

 

5. 山小屋は予約制。

混雑回避と自然への負荷軽減のため、尾瀬山小屋組合では平成4年から完全予約制を導入しています。
また入浴はできますが、石けん・シャンプーの使用は自粛となっています。
 

(出典:東京電力「尾瀬からの招待状」>尾瀬のしおり

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尾瀬を守る取り組み

【緑をまもる取り組み】

■木道を敷いています

尾瀬の自然をまもるためには、人が立ち入らないことが一番かもしれません。しかしそれでは尾瀬の美しさにふれることができませんし、その美しい自然をまもることの大切さも感じることもできません。

そこで、自然に与える影響を最小限に抑えながら、自然とふれあうことができるよう、尾瀬には木道が敷かれているのです。木道は、山間部を含めて尾瀬のほぼ全域をカバーしており、尾瀬国立公園全体では総延長約65kmに及びます。

東京電力では、群馬県内の所有地を中心に、約20kmの木道を敷設、維持管理しています。材料には、折れにくく水に強い国産のカラマツ材を使用していますが、湿原の中では10年前後で架け替えが必要となるため、毎年計画的に整備しています。

 

■荒廃した湿原の回復作業をしています。

標高1,969メートル、360度の大パノラマが広がるアヤメ平は、かつて「天上の楽園」とまで讃えられた美しい湿原で、昭和30年代の尾瀬ブームの時には、大勢のハイカーがおしかけました。その結果、湿原植物が踏み荒らされ、湿原を形成する泥炭層(動植物の枯死体が腐ることなく堆積したもの。尾瀬では1年に1mmしか堆積しないと言われている)がむき出しになり、あっという間に約1haの湿原が裸地化してしまったのです。

東京電力では、1964年(昭和39年)から、木道を設置して歩くルートを限定し、荒廃地の拡大防止に努めるとともに、1969年(昭和44年)からは積極的な湿原回復作業にのりだしました。荒廃した約1haのうち、0.9haについて東京電力で作業を行い、現在ではかなりの部分に緑が戻ってきています。

 

■種子落としマットを敷いています

尾瀬には、固有の珍しい植物が数多く生息しています。しかし近年、尾瀬の外から持ち込まれた植物(外来種)がふえ、元来生育していた植物(在来種)が追いやられてしまうおそれが出てきました。

そのため、靴についてきた植物の種子が尾瀬に持ち込まれることを防ぐため、東京電力では尾瀬の群馬県側の入山口すべてに種子落としマットを敷いています。

 

【尾瀬の木道エコペーパー】

■紙の原料として再利用

尾瀬の風景に欠かすことのできない木道。折れにくく水に強いカラマツを使っているとはいえ、厳しい自然環境にさらされ、また、多くの方が通行されるため、10年前後で架け替える必要があります。
これまで役目を終えた木道廃材は、尾瀬から搬出した後、産業廃棄物として処分していましたが、尾瀬の自然をまもっていた木道のライフサイクルを少しでも長くしたいと考え、これを紙の原料として利用するようになりました。

 

【水を守る取り組み】

■浄化槽を完備した公衆トイレを設置しています
尾瀬を訪れる人は誰も、その水の豊かさと清らかさに強い感動を覚えることでしょう。しかし、尾瀬には年間数十万ものハイカーが訪れるため、雑排水による水質の悪化が心配されることになります。

東京電力では、尾瀬に公衆トイレを7ヶ所設置してご利用いただいていますが、これらのトイレには、自然の川に劣らない水質まで浄化できるよう、浄化槽を完備しています。

 

【空気をまもる取り組み】

■太陽光発電を導入しています

尾瀬の灯りの多くは、ディーゼルによる発電でまかなわれています。東京電力は、環境に優しい新エネルギーの開発を進めていますが、尾瀬においても、東電小屋、富士見峠公衆トイレの2箇所に太陽光発電を導入し、CO2排出の少ない発電につとめています。

東電小屋の太陽光発電は最大9.4kWの発電能力があり、東電小屋で使用される電気の約2割をまかなっています。富士見峠公衆トイレのものは最大4.9kWの発電能力があり、トイレで使われるすべての電気をまかなっています。

 

■空気の熱でお湯を沸かすエコキュートを導入しています

尾瀬ヶ原の入り口、山の鼻にある至仏山荘は、空気の熱でお湯を沸かす給湯器エコキュートを導入しています。エコキュートは、従来の燃焼式給湯器に比べて大幅にCO2排出量を削減することができます。

 

 

(出典:東京電力「尾瀬からの招待状」>尾瀬を守る取り組み

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尾瀬の歴史

■明治時代から続く尾瀬の歴史

1890年(明治23年)、平野長蔵氏が尾瀬沼岬に行人小屋を建てたことをもって尾瀬開山と言われていますが、古くから尾瀬には、上州(群馬県)と会津(福島県)を結ぶ交易路が通っており、尾瀬沼のほとりには交易所が設けられていたそうです。地名のいわれには平家落人伝説と関係があるものもあり、深い歴史ロマンを感じさせます。

■穏やかなものとはけっして言えない尾瀬の歴史

しかし尾瀬の歴史はけっして穏やかなものではありませんでした。有数の豪雪地帯であり水が豊富であったこと、2000m級の山に囲まれたお椀のような地形をしていたことから、1903年(明治36年)には尾瀬における水力発電計画が発表されました。当時は富国強兵のため、電力の増産は国を挙げての課題だったのです。この計画に基づき大正時代の電力会社(利根発電)が尾瀬の土地を買収したことが、尾瀬と電力会社との出会いとなりました。しかし、当時から尾瀬の自然はまもるべきであるという声が政府内にも存往したこと、また度重なる戦争の影響等もあり、尾瀬は開発されることなく昭和の時代を迎えました。

■尾瀬を訪れるハイカーが急増


昭和30年代後半ともなると、戦後の混乱はだいぶ収まり、人々の生活にも余裕が出てきました。そこで起こったハイキングブームと、名曲「夏の思い出」のヒットがあいまって、尾瀬を訪れるハイカーが急増したのです。今のように自然をまもる設備も人々のマナーも確立されていなかったため、尾瀬の自然は急速に荒廃してしまいました。しかし、関係者の地道な努力により、尾瀬は美しいその姿を取り戻し、今日に至っています。

 

(出典:東京電力「尾瀬からの招待状」>尾瀬の歴史

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尾瀬国立公園とは?

区域面積は37,200ha(うち日光国立公園からの分離が25,203ha、新規指定の会津駒ヶ岳、田代山・帝釈山の周辺地域が11,997ha)になります。東京電力は、尾瀬国立公園全体の約4割、特別保護地区の約7割の土地を所有しています。

■わが国29番目の国立公園、「尾瀬国立公園」

2007年(平成19年)、全国で29番目の国立公園として、※1尾瀬国立公園が誕生しました。

群馬・福島・新潟・栃木の4県にまたがり、雄大かつ繊細な自然が残ることで知られる尾瀬は、国立公園ならびに特別天然記念物に指定され、※2ラムサール条約の登録湿地でもあります。

※1:日本の宝でもあり、世界の宝でもある尾瀬。尾瀬は当初、1934年(昭和9年)に誕生した日光国立公園の一部であり、1953年(昭和28年)以降は国立公園特別保護地区として、法的に厳しく守られてきました。
2007年(平成19年)8月、会津駒ヶ岳及び田代・帝釈山周辺地域など、尾瀬地域と景観や植生の連続性があるエリアを新たに追加した上で、一つの国立公園として分離・独立したのです。わが国で国立公園が分離・独立したのは初めてのことであり、多くの関係者により保護活動が行われてきた尾瀬が、日本の国立公園のあり方を示すモデルケースとなることを期待されてのこととも言われています。

※2:国際的に重要な湿地を保護するための条約。159カ国が締約しており、日本からも釧路湿原や琵琶湖、尾瀬など37箇所が登録されています。(データは2010年2月時点)

■尾瀬の自然

12科18種類もあるんです。
尾瀬は気象条件や地形・地質が極めて複雑で、豪雪地帯でもあることから、日本でも有数の植物の宝庫となっています。

シダ植物以上の植物で約900種あるといわれていること、また、「オゼ」と名のつく植物が12科18種類あることなどからもその植生の貴重さがうかがえます。また、ほ乳類だけでも30種以上、鳥類は150種以上が確認されているそうです。

尾瀬の動植物トップへ

「オゼ」と名の付く植物一覧へ

【ラムサール条約とは?】


■「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」

1971年(昭和46年)、イランのカスピ海湖畔にあるラムサールという町で、「湿地および水鳥の保全のための国際会議」が開催されました。そこで採択された条約が「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」通常「ラムサール条約」です。多様な生物を育む湿地は、非常に重要な資源でありながら、干拓や埋め立て等開発の対象になりやすく保護を図る必要性が高まっていたこと、また、湿地は渡り鳥や魚などの生物の移動を通じて、他国の生態系とつながっていることから、湿地を保護する国際的な条約が必要になったのです。

■湿地の生態系を維持しながら、資源を持続的に「賢明に利用」という原則

ラムサール条約の目的は、湿地の生態系を維持しながら、資源を持続的に「賢明に利用」(ワイズユース=wise use)することです。採択当初から「持続可能な利用(サスティナブルユース=sustainable use)」という原則で取り入れ、多国間環境条約の中でも先駆的な存在として知られています。それぞれの加盟国には、国際的に重要な湿地の管理者に研修を促すこと、国際協力を推進するすることなどが求められています。なお、当初は水鳥に注目した条約でありましたが、湿地の重要性に対する認識の高まりとともに、1999年(平成11年)の第7回会議において、広く生態系の保全に重要な湿地に対象を拡大し2005年(平成17年)までに登録数を倍増する目標を立てました。
2005年(平成17年)9月時点では、146カ国がラムサール条約に加入しており、登録された国際的重要湿地数は1,462件でしたが、2005年(平成17年)11月8日からウガンダで行われた第9回締約会議でさらに倍増しました。日本も、これまで釧路湿原や琵琶湖など13カ所の湿地が登録されていましたが、11月8日付で尾瀬を含む20カ所が新たに加わり、現在では37カ所の湿地が登録されています。

(出典:東京電力「尾瀬からの招待状」>尾瀬国立公園とは?

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